背広のボタンを引きちぎると絶対に宝くじが当たるから何とかして上司の席の後ろに加湿器を設置してその中でミドリガメを飼わなければならない気がする。
喉元の10cm程上の辺りがそんなことを考えだした頃、何だか清らかな音楽のようなものが耳を撫でた気がしたが、それ自体はさほど珍しい事でもない。久々のその感覚を注視することもなく僕は深く意識の底へ降り立とうとした。
「おい……何か聞こえないか?」
降り立てなかった。
「これ……お経じゃないか? おい……ヤバいよ、これ……うっすらお経が聞こえるぞ!」
またもや彼は騒ぎだした。
なんだ? 寝たくないのか?
「お経くらい別にいいじゃないか……たまに聞こえるよこの部屋は……」
「いや不気味過ぎるだろ……別に近くにお坊さんが住んでるわけでもないんだろ?」
うるせえな……
「お坊さんはいないけど、お経くらい別にいいだろ? そもそもお経はありがたいお言葉なんだぞ……不気味とか言うな」
少しお経が聞こえるくらい何だというのか。もしお寺の近くに住んでいたのなら毎日聞こえる。彼が喚き散らすものだから、既に頭が冴えてきた。また始めから入眠待ちをしなければならない。気が遠くなってきた。
「いやでも突然聞こえてきたら怖いだろうが」
「別に爆音でお経が流れてるわけじゃないだろ? 音楽を聞きながら寝てると思えば、それよりもまだ静かで心も落ち着くだろ……雨音とかのほうが音としては大きいよ」
「でも怖すぎる」
しつこいな今回は……
「別にどこかが痛くなったりしないだろ? お経が襲ってくるわけでもないし、実害がないんだから怖がる必要もないだろ。心落ち着くありがたいお言葉が環境音として流れてるんだ……むしろ感謝して眠れ」
「いや、しかし……」
あぁ、もう……
「ムカデよりはマシだろ? ムカデは咬むぞ。お経は咬まない」
「そうかな……まぁ、そうかもな。むしろお経って清めてくれる奴だもんな。ムカデは咬むし……」
ようやく解ってくれた。
「害はないから。おやすみ」
「……おやすみ」
ほぼ眠れていたのに。
大したことでもないのにいちいち声を掛けるな腹が立つ。また頭が覚めてしまった。このままではどうやったら眠れるのか忘れてしまうかもしれない。いやむしろ改めて考えると僕はいつもどうやって眠っていたんだ?
眠り方なんてものを気にしだしたら、それこそもう二度と寝付けなくなる気がしてきた。
また頑張って眠らなければならないと思うと気が遠くなる。他人が居るとただでさえ眠れなくなるというのに、いちいち話し掛けてくるのだから始末に負えない。彼がこんなに神経質な奴だとは思っていなかった。 ここまで来たら朝まで起きていてもいいのかもしれないが、僕にだって意地というものがある。絶対に寝てやる。
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